ひとり言

2008年10月26日

心とお金

今年の夏の日の早朝のこと、ある遠方のお得意様から電話があった。その電話は、ご主人が突然未明に亡くなられ、明後日が葬儀に決まり、ついては、夏の着物を着せて逝かせてやりたいが、何とかならないかというものであった。さらに、電話ごしの奥様の様子から、夜が明けるのを待つようにしてお電話いただいたことは明らかだった。私は、とっさに、何とかやってみましょうとご返事をし、すぐに仕立屋さんに無理をお願いすることになった。

そして次の日、お昼過ぎに着物がきれいに仕立て上がり、私はすぐに出来上がった着物と帯を持って、高速で岡山へと向かった。そして、なんとかお通夜の始まる一時間前にお得意様のお宅へ到着することができ、待ちわびておられた奥様は、すぐに着物をご主人に着せられた。

あの時は何とか着物を間に合わせお役に立ちたい一心であったが、今考えると、丸一日で着物を仕上げることや、岡山までの距離を考えると、間に合うかどうかは一つのかけであった。しかし、結果お役に立てることが出来、本当に良かったと胸をなでおろした。

ところで、このように最後の最後まで愛する人を思いやる方がいらっしゃるかと思えば、今の時代、喪の着物を持っていても、着た後始末が大変だからとか手入れにお金がかかるからと洋服や借衣装にする人が増えている。喪の着物を着なければならない人なら、故人とは近い間柄の人に違いないはずだ。大切な人との別れに際し、このような冷静さには怖いものを感じる。

このように最近、とりわけ大事なことにおいても手間とかお金を惜しむ風潮があるが、人々はそんな風潮に慣れる一方で、人の心を粗末にし、人として大切なものをどんどん失っているように感じる。お金のために人の心がすさび、他人に対する思いやりや優しさなどが薄くなる。その結果、社会では、毎日のように今まででは考えられないようなおぞましい出来事が起き、家庭の中においてすら、非常に痛ましい凄惨な事件が増えてきた。確かにお金は大事だけれど、物事の判断のほとんどが、金銭的なフィルターを通してなされる時代というのは、あまりにも寂しい気がする。

拝金主義に走り、優しさを失くした国家、真心を失くした社会、思いやりを失くした家庭、一体この国の人々はどこへ向かっているのだろう。

2008年7月30日

薄味の時代

今、新商品の着物の色選びをしている。いくつかの色を候補に挙げたが、参考に十五年以上も前の同種の着物の色見本を出してきて、今の色と昔の色を見比べてみて驚いた。

昔の色は、一見してこの色は紫、この色は青、この色はピンク、この色は... と答えられる色ばかりである。しかし、現在候補に挙げている色は、紫がかった青だとか、緑味のあるグレーだとか、藤色がかったピンクだとか、とにかく全ての色の名前に、頭に説明が必要な色ばかりで、単純に何色と答えられる色は一つも無い。このように新しい着物のために選んだ色は、今の時代に最も受けいらられ易い色をと探した結果であるが、これを見ると、今の時代は、どうやらはっきりした色が好まれない時代だと言えるのかも知れない。

これは、何も色だけにに限ったことではなく、現代社会のあらゆる面で、はっきりしたものや”〜らしさ”が好まれない傾向が出ているように思う。あくの強いもの、個性の強いものは嫌われ、みんな同じような中で、わずかに違いがあることがどうやら価値があるようだ。政治、経済、文化、あらゆる分野でその傾向は強まってきていると感じる。

例えば各政党間の違いも良く分からないし、車や電化製品のデザインにも個性が感じられない。テレビでも、最近男だか女だか分からない人がやたらと目立つようになってきた。食べるものでも、ケーキや和菓子を食べてさっぱりしていることやあまり甘くないことが、おいしいというほめ言葉になっている。

また、社会全体が濃密な人間関係を嫌い、クールといえば聞こえがいいが、お互い不干渉かつ無関心な社会がすっかり出来上がってしまった。人間関係も希薄になり、隣近所の人と助け合いながら仲良く付き合っていくことも少なくなり、家族関係も、利己的で、昔のように家族が全員で行動することも少なくなり、それぞれがバラバラといった感じがある。

このように、全ての分野において、あっさり、さっぱりの薄味が好まれる現代というのは、例えれば、ご馳走を食べた後の、お茶づけと同じではなかろうか。そう考えると、もはやメイン料理は昭和で終わりを告げ、平成の現代はお茶づけのように〆の時代にでも入っているのだろうか。

しかし、このまま終わるわけにも行かないので、もうそろそろ〆の時代にはきっぱ別れを告げ、今度は新しい料理のメインディッシュのしっかりした味を求めても良いのではなかろうか。来たるべき新しい時代には、是非人間味が濃い世の中になってほしいものだと思う。

2008年2月15日

”殿方”

先日お客様のお宅で仕事が終わり、ご挨拶を申し上げ失礼しようと玄関へ行くと、お預けしていたコートをお客様に羽織らせていただいた。帰りの道すがら、その時恐縮しながらも、コートを羽織らせていただいている自分が、なんだかいい気分になっていたのを思い出していた。普段はほとんど車で移動し、遠方に列車で出かけるとき以外ほとんどロング・コートを着て出かけることもなく、ましてやコートを羽織らせてもらうなどという習慣のない自分には、印象的な出来事であった。このお客様は、もう九十歳近いはずだが、きっと亡くなられたご主人をこうして毎朝、永年にわたって送り出されされたのだろう。こんな事を思いながら、なぜか、先刻お客様が話の中で時々使われた「殿方」という言葉が気になった。 

この「殿方」という言葉は、女性が男性を立てる時使われる言葉だと思う。しかし、現在は、日常的にほとんど使われることもなく、死語になってしまった感がある。もはや時代は変わり、家庭においても職場においても女性が男性を立てることなどということは全く無くなってしまったといってよいだろう。戦前ぐらいまでは、家庭の中にあって、実権はお母さんにあっても、お父さんはお母さんによって常に立てられていたのではないかと想像する。そして、その一つの例として、よく言われる話だが、当時のお父さんのおかずは一、二品、品数が多かったそうだが、今はそれどころか、子供の好きな料理にお父さんは毎日文句も言えず付き合わされているのが実情だろう。しかも、今や偉くて強いお母さんは、男を立てるどころかいつも子供が中心で、お父さんは二の次、三の次といったところではなかろうか。

このような変化は、女性の社会進出に伴い、女性の地位の向上を標榜するあまり、家庭においてもその影響が出ているのか、言わば母親の男性化現象に原因があるのかも知れない。同時に、女性たちは、男性を立てることで、家庭をうまく治めるという昔ながらの知恵を失くしてしまったように思える。男というのは、生来単純な生き物である。おだてられれば、とてつもなくがんばるものだ。明治や大正の女性は、その辺をよく判っていたに違いない。子供は放っておいても育つが、亭主は手間ひま掛けないとよく育たないということを。

またこのような「殿方」という言葉の一方で、男性が女性に対して使う「ご婦人」という言葉がある。これは、男性が女性を大切に思い、尊敬の念を込めて使われるよい言葉だと思う。「殿方」と「ご婦人」、今や日本料理屋や旅館のトイレの戸にかかられているのを見かけるぐらいだが、このような「殿方」と「ご婦人」という呼び方が何の違和感も無く当たり前に使われていたであろう明治、大正時代、そんな時代にあこがれてしまうのは、私だけだろうか。

ちょうど今、偶然にも、テレビのウイスキーのCMで、石川さゆりの歌声が聞こえてきた。”ウイスキーがお好きでしょ。......”、 --- そうそう、この世界。


2007年10月8日

爆弾三勇士

過日、「ひとり言」の2005年1月18日に書いた”戦時色”を読まれた方からお電話をいただいた。それは、この中で紹介している男物の長襦袢の柄が、実は、”爆弾三勇士”をテーマに染められた品物で、この方はこの長襦袢に以前から興味を持っておられ、実際に現物を見てみたいというものであった。そして、わざわざご遠方からこの長襦袢だけを見に来られるという。私は、この長襦袢がただ単に戦争の柄の珍しい長襦袢だとしか思っていなかっただけに、驚いてしまった。そこで、お見えになった折には、この長襦袢をお持ちのお得意様へこの方をお連れするよう手配させていただいた。

ところで、今回初めて知ったのだが、この"爆弾三勇士"とは、「上海事変中の1932年(昭和7年)2月22日、蔡廷楷率いる19路軍が上海郊外の廟行鎮に築いた陣地の鉄条網に対して、突撃路を築くため、点火した破壊筒をもって敵陣に突入爆破(強行破壊)し、自らも爆死した独立工兵第18大隊(久留米)の、江下武二、北川丞、作江伊之助各一等兵のことを指す。」のだという。そして、この事件は、当時愛国美談として称えられ、映画や歌になっていたことも知った。

私は、最初、長襦袢の柄にまで、戦争が影響を及ぼしていたことに驚いたが、今回この柄が”爆弾三勇士”であることを教えていただいたことで、この頃の日本が軍国熱の高まりと共に、大戦争にまっしぐらに突き進んでいく様子を知ることができ、このような世相と日本人の急進性に恐ろしいものを感じた。

先般来、「テロ特借法」の期限切れの問題で、日本中が騒がしくなった。しかし、どちらにしても、日本人と第二次大戦、この戦争の冷静な総括の上での議論を望みたいものだ。

2007年9月29日

”引く”

先日ある遠方のお客様から、贈り物が届いた。思いがけないことで驚いたが、その贈り物はというと、一冊の短歌集だった。柔らかな薄い和紙のカバーをはずすと、ハッとするほど鮮やかな朱色のちりめん表紙が現われ、その表紙の真ん中よりやや上あたりに、ほどよい大きさの歌集名の和紙が貼られていた。更にその名前の洗練された細い書体と絹表紙のしなやかな手触りは、この本に、女性ならではのこだわりと繊細さを与えていた。

元々私は、お客様から短歌集の本の表紙をちりめんで作りたいというご注文をいただいた時に、この本の出来上がりの姿をお聞きし、知っていた。しかし、実際に出来上がった本を手にとってみて初めて、このお客様が、数ある生地の中からなぜこの生地をお選びになり、なぜ表紙の色がこの色でなければならなかったのかを納得することができた。

私は、一機にこの短歌集を最後まで読み終えた。普段、短歌になど触れたことのない自分には、とても新鮮な経験だった。それは、忙しさにかまけ、自らの喉の渇きをも覚えない者が、突然目の前に差し出された一杯の水を飲み干し、初めて喉が渇いていたことを知った、まさしくそんな感じだった。

それにしても、短歌というものは、少ない言葉で、よくも読む人に瞬時にしてその映像を生き生きと浮かびあがらせ、音や匂いまでをも感じさせ、なお自らの今在ることへの喜びや感謝までも伝えることができるものなのだと、今更ながらに驚いた。このように、少ない言葉で、多くを伝えるというと、誰のことかは忘れたが、「今日は時間が無くて、長い手紙になってごめんなさい。」と手紙の最後に書いた人のことを思い出した。物事を表現し伝えようとする時、どんなにたくさんの言葉を使って表現するよりも、むしろ選びぬかれた少ない言葉ほどに、想いはよく伝わるのものなのだろう。

また、短歌に限らず、余計なものを極限までそぎ落とし引き去る事で逆に無限の世界を表現しようとする手法は、日本文化の特徴なのかも知れない。そして、このことは、例えば能や狂言のような伝統芸能、竜安寺の石庭などに代表されるの枯山水の庭園、精進料理がルーツとといわれる懐石料理、茶道や華道の世界など、多くの日本文化に共通しているように思える。

表現したいことや伝えたいことが大きければ大きいほど、足していこうとする西洋文化に対し、逆にどんどん引きさろうとする日本文化、それは、油絵と墨絵の関係に似ている。油絵では、まず色を塗らない部分を残すことなど考えられないが、墨絵では、可能な限りあらゆるものを排除し、表現したいものの真髄だけを残そうとする。したがって白い余白までもが大きな意味を持つ。そして、その余白にこそに見る人は、さまざまに想いをめぐらせる。

ところで、このような、「足す」「引く」という観点から、現代に生きるわれわれを眺めると、西洋文化の影響か、物やお金を得ること、すなわち、足すことのみを追求するあまり、生活空間の悪化が進み、他人にに対する思いやりとか、優しさとか、心遣いなども希薄になった。その結果、ぎすぎすした、いらだった雰囲気が日本中に充満している。こんな時代だからこそ、今、「引く」ということを、真剣に考えなくてはならない時にきている気がする。

以前シンプルライフという言葉が流行ったが、今こそもう一度本当の意味でのシンプルライフを考え直してもよさそうである。どれだけ引けるか、まさに、それが、心の豊かさとと、幸せのバロメータになるだろう。


2007年3月6日

腕の伸びる?日本人

古い着物の裄丈を長くしてほしい"というお客様のご注文が増え始めてから、随分久しい。
お客様が今ある着物の裄丈を伸ばすことを望まれる理由は、一体何なんだろう?

それは、近年日本人の腕が、にょきにょき伸びてきたからとでもいうのだろうか。
まさか、そんな馬鹿なことはないだろうが、振り返ってみると、着物の裄丈を長くしたいという人が増え始めた時期と、人々が普段着物を着ることが少なくなってきた時期とがちょうど一致するように思える。

女性が普段家にいて、着物を着て掃除・炊事・洗濯などの家事をする時、着物の裄丈が長ければ邪魔になるし動きにくいが、普段着物をほとんど着ることが無く、冠婚葬祭などの特別な時だけに着物を着るのであれば、裄丈が長いほうが、着物姿が優雅に見えてよい。
 それかあらぬか、結婚式や成人式では、袖口が手の甲までかかっているような着物を着ている人を見かけることが増えた。つまり、着物が、日本人の普段着ではなくなり、特別な場合だけの衣装となってしまった。このように、裄丈の長い着物が好まれる理由は、いわゆる「きものばなれ」に一番の原因があるように思われる。

ところで、私は、このような長い裄丈の着物姿は、だらしなく不恰好に見え、好きにはなれない。昔の普段の生活の中で見る、今より短い裄丈の着物姿のほうが、むしろ美しく見え、好きである。髪の乱れを直す時など、袖口から白い腕がちらりとのぞいたりすると、ドキッとしたりするが、裄丈の長い着物では、何とも色気がない。世界中の、どの国の女性の衣裳でも、セクシーであることは、美しさの最も重要な要素の一つだと思う。

本来着物は、どちらかというと肩をすぼめたような感じで着るのが普通だし、洋服を着ている時のように、大きく腕を振って大股で歩いたりはしない。着物は、その形だけでなく、着方や立ち居振る舞いなども洋服とは全く異なるが、そういった洋服と着物の違いが分からない人が増えたことも、長い裄丈の着物ガ好まれる一つの理由なのだろう。

ともかく、私は再びお客様から、今度は”今の長い裄丈を短くしてください”と求められる日が来ることを望みたい。なぜならその時は、普段きものを着て生活する女性が、まさしく増えたことを意味するはずだから。
 

2005年7月30日

クールビズ

この夏は、クールビズという訳のわからぬ言葉が飛び交っているが、どうやら、ネクタイをはずし、腕まくりをして仕事をすれば、冷房の設定温度が上げられるほど涼しくなるという魔法の言葉らしい。

なるほど、最近の地球温暖化で、昔に較べ確かに夏は一入暑い。しかし、夏暑いのは当たり前ではなかろうか。「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉があるが、最近の日本人は、多少は暑さを我慢したり涼を得る工夫をしたりせず、クーラーをいれて涼しい部屋でだらしない格好で過ごす人が増えているようだ。

ところで、先日京都市内を車で走っている時、どこかのバス停で、着物姿の中年の女性を見かけた。この暑さの中にもかかわらず、濃い地の紗の着物に、薄地の羅の帯をきりりと締め、日傘をさしてバスを待つその姿は、涼しそうとは行かないまでも、けっして暑そうには見えなかった。なぜか見ている自分の背筋がしゃんと伸びる思いがした。 一方、信号待ちで、横断歩道の前で止まった時、タンクトップに短パンで通り過ぎる同じく中年の女性を見た。着衣が少なければ、涼しいのが当たり前のように思われるが、肌もあらわなその姿を見ていると、とても暑そうに感じた。
 
世の中何でも便利になり、楽であることが一番という風潮がある。その一方で、礼節が失われ、人間として大切な心の部分もどんどん失われていくように感じる。便利の良さは怠惰を生み、面倒をきらうことは簡略化を生む。しかし、世の中、便利であったり簡素化してはいけないことも多いはずなのに、いたるところ時代だからと何でもありで、節操も無く、味気ない方向にどんどん進んで行くのは恐ろしい気すらする。

 「クールビズ」も正に、そんな風潮を助長しているようだ。単にネクタイをはずすというポーズが、本質をうがつ説得力のある行為だとは到底思えない。これをあさはかなスローガンと思っている人は、恐らく自分だけではないだろう。

ところで、余談ながら、私は夏生まれのせいか、暑いのは寒いのに較べ、苦にならない。もちろん人と同じように暑い時は暑いし、今日は暑いと口に出る。しかし、暑いのは嫌いではない。
 

2005年7月25日

日本の色

最近、「古布」でできた着物や小物からアロハシャツまで、若者の間で特に人気があるようだ。これは、昔の柄が今の柄と違うから若者に人気がある、というようないう単純な理由だけではなく、色の違いが大いに関係しているように思えてならない。つまり、昭和初期以前には当たり前だった着物の色が、現在までの間にすっかり消え失せ、若者たちの目に触れることが無くなってしまった。逆にこのことが、今の若者にとっては、これらの色がかえって斬新に見え、魅力になっているのだろうと思う。

ところで、どこかの家電メーカーの、テレビのコマーシャル・メッセージで、「日本の色」という言葉を聞いたことがあるが、確かに「日本の色」と言える色は存在するように思える。京都の『都踊り』に行くと、最近の着物にはほとんど見られなくなった舞妓さんや芸子さんの鮮やかな衣装の色にははっとさせられるし、われわれのような年代の人間には古い時代へのノスタルジーを覚える。

さらに、古来より日本人が色に対してどれだけ繊細で豊かな感性を持ち合わせていたかは、数え切れないほどの色につけられた名前が、それを証明している。
例えば、藤色、苔色などの植物から取られた名前があり、瑠璃色、砂色などは鉱物、飴色は食物、朱鷺色、海老茶などの生き物から来ている名前もある。その他挙げればきりが無い。さらに、一つの色にも明るさや、ちょっとした色味の違いによって、実に多くの種類がある。例えば、青系の色を例にとると、浅葱色、藍色、その中間で花田色、少し薄い色で、新橋色などという粋な名前も出てくるし、文学的な香りのする想思鼠など、まだまだ続く・・・・。それにしても、微妙な違いでしかない色に、よくもこれだけ沢山の名前を付けたものだと驚く。

このように、日本人は古来色に対して豊かな感性をもっていた。しかし、現代に生きる我々は、果たしてどうだろうか?
最近日本人の、特に女性の衣服の色がつまらないと思う。ユニクロにでも入ると、ほとんど色の無いファッション空間と言う感じがする。
今年の冬、関東へ出張した折、小田急線のどこかの駅で不思議な感覚にとらわれた。反対側のプラットフォームで電車を待つ大勢の人々を見たとき、なんと色物の衣服を着ている人が全くいないことに気がついた。何百人の人がいても、ほとんど黒かグレーかカーキ色、時々白も見えるが、色物を着ている人は、皆無だった。夕方で薄暗かったせいもあるが、まるでモノクロの夢を見ているような不気味で異様な光景だった。
 冬だって、もっとカラフルでいいのではないだろうか。北国フィンランドにポッパナ織りという手織りの綿織物がある。弊店も取り扱っているが、とてもカラフルで楽しい色の物が多い。

せっかく「古布」により日本の色に目覚めた若者たちが、これを機会に、さらに日本の色について興味を持ち、ファッションリーダーとして、着物はもちろん、もっともっと自分たちの着る洋服にも、日本の色を取り入れてほしいものだと思う。

2005年1月18日

戦時色

 先日お客様からご注文があり、お宅へ伺うと、ちょうど男物のきものを出しておられた。そして、その中には何枚かの男襦袢があったが、「父の長襦袢ですがこんな珍しい物があるんですよ」と、そのうちの一枚を見せていただいた。畳の上に広げられたその長襦袢は、鉄色の地で、後身頃全体にたくさんの柄が重なって染められていた。
 しかし、それは今までに見たこともない柄だった。一体これは何の柄だろうとよく見ると、新聞の戦況についてのコラム、銃剣、ヘルメット、ミサイル、戦車等、戦争にまつわるいろんな物が所狭しと染められていた。
 戦時中の品物であることはすぐ分かったが、戦争というものは、こんな所にまで及んで来るものだろうか。戦争を知らない世代の自分ではあるが、「戦時色」という言葉があるように、戦争は、人々の精神のみならず、あらゆるものにまでその影響を及ぼしていたことを、あらためて知った。

2002年6月2日

死での旅衣装

  お客様のご注文品には、お祝いとか慶びの席に着る着物だけではなく、死での旅衣装もある。ご年配のお客様が、ご自身が元気な時に、来るべき時のために準備なさるならまだよいが、そうでない場合は、何ともやりきれない。

2001年6月9日

時代錯誤?

 最近、シックハウス症候群という、化学物質に敏感に反応する人々が増え、学校にも行けない子供達が増えているという。かく言う自分自身も、スラックスやYシャツなど合成繊維の入っているものを身につけると、どうも身体が痒くなる。そのため、すべて着るものは、天然素材のものにしている。
トランクスも、普段からシルクをはいているが、これから暑い夏に向かい、長距離の車の運転が多い自分にとって、どうしてもシートとお尻の間に汗をかくが、シルクは綿に比べさらりとしていて、涼しくて快適である。お客様でも、一度シルクの肌着の着心地を知ると、なかなか他の材質のものは着れなくなると言われる。しかし、シルクは綿などに比べて、高価で弱いと言う弱点がある。この辺が、良い事は分かっていても、一般に普及しにくい所以。しかし、洗濯など手洗いをするとか、大切に扱えば、かなり耐久力は伸びるはずなのだが...。
今からは、「良いもの大事に、長持ちさせる」そんな時代なのだと思う。

ところで、高校生時代、祖母が母のために作ったという、「デンチ」をずっと拝借し、机に向かっていた事がある。真綿入りのふっくらとしたデンチはとても軽くて暖かかった。大学に入ってからも、下宿まで持っていっていたような気がする。その暖かさは、今はやりの、キルテイングの半纏やベストのものとはまったく違った、優しい温もりだった。もちろん、娘のためにと母の手作りで、愛情が一杯詰まっていたのかも知れないが、それにしても、心地よい優しい暖かさだった。

昔ならば、こんなものは日本中どこでも当たり前に着ていたものだが、今はほとんど見かける事もないのはさびしい限り。現代は、住宅事情が昔とは変わり、石油や電気を多量に使い、暖かい部屋で薄着をして過ごす時代。お風呂上りに、綿入れの丹前などを着て暖を取るとは時代錯誤と言われるだろう。しかし、人に優しく、地球にも優しいというのならば、このような時代錯誤こそが、かえってこれからの新しいライフスタイルなのかもしれない。優しいシルクの時代なのかもしれない。

1999年6月

着物離れ

 「きもの離れ」という言葉ができて久しいですが、呉服業界では、よく一般の人々からアンケートをとって、その答えの中からきものが売れない原因を見つけては自ら納得しています。  さらにまた、時代の変化により人々の考え方や、ライフスタイルが変わったから、きものが売れなくなったと決めつけています。  

 例えば地味婚がはやり結婚式にあまりお金をかけなくなったり、生活の洋風化や、生活があわただしくなってゆとりがなくなったとか、きものは着るのに手間がかかるし、着た後手入れが大変だとか、高価だからとか.....きものを着ない理由の羅列には枚挙にいとまがありません。

その結果、そんな時代に迎合した物づくりが横行し、安いがぞっとするほど粗悪な商品や手抜きの商品が市場に溢れ、ただ儲かればいいという商売がまかり通っています。一方、よい商品をつくってきた老舗といわれているメーカーや問屋が次々と消えていきます。

 どこかが間違っています。どこにこの原因があるかと考えると、、日本人が日本人であることを捨ててきた結果が、今日のこの状況を作っているのではないでしょうか。 そして私は、このように今のきもの業界の人々がきものが売れない原因に挙げていることは、本当の原因ではない気がします。

 生活があわただしい、忙しいと言う人が、日に何時間もテレビの前に座っていたり、きものは高価で不経済だと言う人のタンスの中に、安いからと衝動買いした洋服や流行遅れの着ない洋服がいっぱい詰まっていたりするかも知れません。一方、ちゃんとしたきものなら数回染め替えだってできるし、三代着れるきものも珍しくありません。また,今はやりの言葉を借りると、地球にだってやさしいのです。

 今、きものを着なくなった理由に、一つ一つ反論して行くつもりもありませんが、きもの離れの最大の原因は、日本人の精神と生活の堕落以外の何ものでもない気がします。お金や物が豊かなら幸福でしょうか。何でも速いことや便利な事がどれだけの価値があるのでしょうか。むしろ、今の社会で起こっている様々な問題は、少なくとも戦後私達が良しとし信奉してきたそんな物の中に原因があるように思えてなりません。新しい世紀を迎えようとする今、私達日本人がもう一度日本人であることを見つめ直さない限り日本の世の中はよくなっていかない気がします。

 ところで先日、私は、新撰組や幕末、明治維新に興味のある中学校3年生の2番目の娘に京都の維新ゆかりの地を連れ廻わされました。壬生の屯所、角屋、二条城、東山の護国神社、祇園.....。そして、それぞれの場所で、その地を訪れるかなりの数の若者達に出会いました。

 後で思ったのですが、今の若者も捨てたものではないのではないかということです。自己中心的な若者が起こす事件や犯罪などが、毎日、新聞やテレビ、その他様々のメディヤでにぎやかに報じられています。しかし、一方で、世のため人のため国家のために自らの命をかえりみず生きた幕末の人々に、共感を覚える若者達もいるということです。時代は変わったとはいえ、このような若者がいることを知り、日本の将来にかすかな希望の光を見る気がしました。

 また、私は娘に連れまわされたおかげで、それぞれの場所で、優れた名品や美術品、日本建築の合理性や美しさなどに触れ、あらためて日本文化のすばらしさにうたれました。そして、日本人が日本人の心を亡くしてしまうという大きな二十世紀の過ちが、二十一世紀には必ずプラス方向への揺り戻しとなって現れるだろうと信じています。またそうならなければ、日本の将来はないだろうと思います。

 私は、多くの日本人が日本人の心を亡くした今の時代に迎合することなく、自分が自信の持てる品物をお客様にお届けすることで、お客様の人生の様々なシーンをりっぱに演出でき、お客様と喜びを共にできれば、それが自分の人生の生きる証であると考えています。